真言宗豊山派


〔沿革〕弘法大師入定後、法孫である興教大師覚ばん(1095〜1143)は、大治5年高野山に伝法院を興したが、保延6(1140)年根来山に下る。興教大師の加持身説と一密成仏の新義教風は頼瑜僧上にて大成する。天正13(1585)年、秀吉に攻められて炎上以来、天正15(1587)年に秀吉に請じられて興教大師の学灯をうけた小池坊専誉が大和に長谷寺を復興。以来碩学出で宗風を確立その法燈を伝え今日に及んでいる。

〔教義〕真言宗豊山派の教旨は、即身成仏の直路を開示した秘密法門である。宗祖弘法大師は、この法門を示すために横堅の教判を設け、顕密二教に対弁し、十住心を建立して、本宗独自の立場を明らかにし、六大(地・水・火・風・空・心)、四曼(大曼荼羅・三昧耶荼羅・法曼荼羅・羯磨曼荼羅)、三密(身密・口密・意密)の体相用三大において、生仏円融の深義を開設した。三密加持の妙行を修して、仏果を即身に証得し、済生利人の摂化を行い、四恩に酬答し仏国をこの地に開顕するをもって教義の大要とする。


『現代仏教情報大事典』より引用

発行所 (株)名著普及会

発行者 小関貴久


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