由緒

通法寺境内 通信房、俗名を舘左ヱ門尉通信と言う。源氏の末裔で保元、平治の乱後(1157〜59)越中に居住する。
治承4年(1180)平家の討伐をはかり高倉宮第三皇子以仁王を中心に兵をあげた。
その頃木曽義仲信濃に兵をおこし北陸にその軍をすすめた。御本尊
通信は同一目的のため盟約を結び京に攻め入る。その後義仲の横暴さを見て武士としての望みを捨て世をはかなみ再び越中に帰着した。たまたま親鸞上人の越後への国流しに際(1207)。その勝縁を喜んで親しく其の教を受く。
それ以来代々真宗を伝え十五世宗玄、慶長4年(1599)本願寺十二代教如上人より本尊を頂き一宇を建立し通法寺の寺号を許さる。
現本堂は大正元年の再建である。

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帰敬式

帰敬式(おかみそり)について

帰敬式とは、私たちが真の佛教徒になるための最初の儀式です。帰敬式を受けることは、仏様の教えに従って生きていく者となることであり、つまり新しい自身の誕生を意味しているのです。
この帰敬式は『おかみそり』とも言いますが、髪を剃るわけではありません。
刃先を丸めた剃頭刀でなでて、出家の形になぞらえるのです。
帰敬式を受け、「法名」をもらいます。
これは、新しく誕生した自身に与えられた、お釈迦様の一族の者としての名前です。
男性には「釋」、女性には「釋尼」が名前の頭につきます。

 

 

 

 

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