【寺院名】大宝山 建福寺(けんぷくじ)
【宗派名】臨済宗妙心寺派
【別名】
【住所】長野県上伊那郡高遠町西高遠
【本尊】萃厳釈迦如来
【開山】蘭溪道隆大覚禅師
【開基】
【由緒】建福寺は、康元元年(1256年)鎌倉の建長寺の開山である蘭溪道隆大覚禅師がこの地に訪れ、鉾持山乾福寺として開創した。以後永禄年間(1558-70)に至るまで詳細は不明である。文献によると、南北朝時代(1331-92)に栄えた寺であり、諸山に列せられている。また武田勝頼(1546-82)が高遠城主となり、清見寺より東谷宗杲禅師を請じて、中興開山となった。そのため勝頼の母諏訪御料人の位牌墓石が安置されている。その後武田氏が滅亡すると、保科正直が同寺を菩提所とし、寺号山号を大宝山建福寺と改めた。保科氏は徳川家の血縁であるため、嫡子正光は高遠城主となり、正之を養子とし会津若松城主(28万石)に栄転した節には、建福寺の第5世鉄舟和尚が供奉し、それに伴って会津に建福寺を創建し開山となり、現在も存続している。
【寺宝】狩野興以筆 中観音左右龍虎 3幅(重文)/鉄眼版一切経/仏足石及び歌碑/守屋貞治作石仏 43体/武田信玄の朱印状 5通/保科侯黒印状 3通/狩野探幽、英信、元信等絵画多数