【寺院名】玉竜山 泉橋寺(せんきょうじ)
【宗派名】浄土宗
【別名】
【住所】京都府相楽郡山城町大字上狛小字西下55
【本尊】阿弥陀如来
【開山】
【開基】行基
【由緒】泉橋寺は、天平12年(740)僧行基の開創にかかり、三代実録には、行基の五畿内に建立せる49院の一院であると出ている。また、行基年譜に記されている行基建立の寺院の中にも、天平12年泉橋院とあり、行基73歳の頃である。創立当時の配置図によれば、金堂、講堂、三重塔など七堂伽藍たち並び、誠に盛んであったようだ。また、平安時代には、奈良の神社や初瀬の観音に参詣することが都の人々の憧れであったようで、同寺にも多くの人々が訪れていた。同は建立以来、兵火等により幾度か焼失しているが、治承4年(1180)の平重衡の乱により焼失し、のちに再建されたが、元弘の乱(1331-33)により再び焼かれている。また、大乗院寺社雑事記の長禄元年(1457)12月6日の条に見られるように、長禄の大一揆にも焼かれており、今は往時の繁栄を偲ぶよすがもないということが残念である。
【寺宝】泉橋寺五輪塔(重文)--五輪塔は聖武天皇の御后である光明皇后の御遺髪を御祀りにするために建立されたと伝えられている/泉橋寺地蔵石仏--天平13年(741)勅を奉じて行基の造立。当時、世に知られたもので、往返の人々に信仰されていた。