仏教用語

仏教用語はおまかせ

 
 
 
 
 
 
 
 
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阿伽(あか)
梵語アルガまたはアルギャの音写。客の接待に供せられる水のこと。転じて仏前に供える水、さらに供物の意。それを入れる器の意となった。

悪趣(あくしゅ)
悪業の結果行わねばならぬところ。地獄・餓鬼・畜生の三道といい、ここに転々と生まれかわることを悪道の輪廻という。さらに修羅・人間・天上を加えて六道という。

阿含(あごん)
インドでの伝承聖典をさし、仏教では大乗経典にたいしてとくに原始仏教(小乗仏教)の経典をいう。南方系では五部に、北方系では、四部に分けている。釈迦の言葉が多く含まれる。

阿字(あじ)
サンスクリットの最初の文字。万有の根源を象徴した字。密教では宇宙万有を法身とみなし、それを象徴する字。すなわち、胎臓界大日如来の種字。五輪の地輪の意。

阿闍梨(あじゃり)
梵語アーチャルヤ、アーチャリヤまたは、トカラ語アーシャリ、アシャリの音写。バラモン教で祭式の教授者の意。仏教でも戒を授け読経などを指導する師僧の意。

阿僧祗(あそうぎ)
梵語アサンキヤの音写。阿僧企耶とも。数の単位。無数、無央数、不可数量。十の五十九乗。阿僧祗劫といえば無数の劫の意。劫が無数の意だから、無数の無数倍でとても数えきれない。

(あま)
梵語アンバーの俗語アンマーの音写。女性で出家得度したもの比丘尼(びくに)のこと。原語は、子どもが母を呼ぶおかあちゃん・あなたの意。教団では、比丘(男の僧)が比丘尼を(アンマー)と呼んだ。

阿羅漢(あらかん)
梵語アルハンの音写。応供と漢訳。羅漢ともいう。供養を受けるにふさわしい人、修行を終えた人、聖者

安居(あんご)
梵語バルシカ(雨季)の訳。四月十五から三ヶ月の雨季の間、洞窟や寺院に篭って修行した。これを雨安居という。禅宗では四月十六から夏安居、十月十六から冬安居としている。

因陀羅網(いんだらもう)
因陀羅は、梵語インドラの音写で帝釈天のこと。帝尺天宮にはりめぐらされている網のことで、各結び目に珠玉がつけられ各々反映し合っている、重々無尽に交渉していること。

異安心(いあんじん)
宗祖の教えにそむいた教説をとくこと。真宗ではとくに安心を重視しているので、異なった安心の説をとくこと。

医王善逝(いおおぜんぜい)
医王はすぐれた医者。衆生の心の病(無明・煩悩)をいやすために法薬を与える意で、仏を医師にたとえた。善逝は仏、如来のこと。医王善逝は薬師仏、薬師如来のこと。

威儀(いぎ)
礼式にかなった態度。立居ふるまい、動作。規律にかなった起居動作や立派な行為、作法。戒律。袈裟につけた平絎のひもの名称。

意識(いしき)
眼・耳・鼻・舌・身・意の弟六番目、第六識。前五識が対象を別々に対して第六識は対象を総括的に把握する、識知し思考する心。また、意によって生ずるところの執着

一念三千(いちねんさんぜん)
人間のちょっとした思いの中に宇宙の一切の姿がそなわっている、という意で天台宗で説く。一念の世界と三千の世界が相即相関していること。「心是れ一切の法、一切の法是れ心」

因果(いんが)
原因と結果。原因があれば必ず結果がある。善因善果、悪因悪果、因果応報という。現在の不運・不幸の原因となった過去・前世の悪業をいう場合もある。

(う)
梵語バーヴァの訳。存在。生存の場所。生死輪廻の続

有為転変(ういてんぺん)
因縁和合によってつくられた生滅変化する諸現象。無常で変遷するもの。これらの現象または存在は一瞬もとどまることなく移り変っていくこと。この世のことを「有為転変の里」とも。

有情(うじょう)
梵語サットヴァの訳。存在するもの、の意。生命を持ち、感情や意識を有するもの。一切の生きものの総称。草木を非情とか無情というのにたいしていう。有仏性の意。

優曇華(うどんげ)
梵語ウドゥンバラの音写。いちじくの一種で、三千年に一度の花が咲く。仏または転輪聖王が出現すると咲く、といわれる。非常に希なこと、珍しいことの喩え。クサカゲロウの卵は別もの。

運心(うんしん)
菩薩戒をうけるとき、戒師の前で心をめぐらし、自分の罪を懺悔すること。心をよせること。

雲水(うんすい)
行雲・流水のように各地を遊歴し、居所をさだめず、所々に師僧を訪ねて教えを乞い、修行を続ける行脚僧

衣鉢(えはつ)
「えはち」とも読む。三衣と一鉢のこと。修業者が持つ九条と五条の袈裟と応量器といわれる鉢。転じて教法、宗旨、奥義。衣鉢を継ぐ、といえば、弟子となって教えを受ける、の意。

厭穢欣浄(えんえごんじょう)
厭離穢士、欣求浄土の略。けがれたこの世を厭い離れてきよらかな阿弥陀仏の浄土を願いもとめること。

閻浮提(えんぶだい)
梵語ジャンブ・ドヴヴィーパの音写。須弥山の南にある大陸。四洲のひとつ。南膽部洲ともいう。インドのことを言っていたが、後には人間世界、われわれの地上世界、娑婆世界をいう。

応病与薬(おうびょうよやく)
病いに応じて薬を与えること。人々の迷いや苦悩に応じて、それに適した教えを説くこと。

屋裏主人公(おくりしゅじんこう)
屋裏とは自己の内面。すなわち、自己の内面に生まれながらそなわっている仏性のこと。大我の本体をいう。

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(が)
自我の意。行為主体としての自己。永遠不滅の本体。自己主観の中心となるもの。仏教ではこのような常恒の我を認めない。存在は縁起によってなるものとし無我の立場をとる。

戒定慧(かいじょうえ)
戒と定と慧。三学ともいう。仏道修行者の必ず修学実践すべき根本的なことがら、悪を制するを戒、心の動揺を静め瞑想するを定、真実を証するを慧という。

過現未(かげんみ)
去現在未来の略。三世のこと。巳今当、三際ともいう。仏教では、時間を実在するものとは見ず、変化する存在の変遷の過程を仮に三つの区別を立てたにすぎない。

加持(かじ)
加は加被、持は摂持の意。仏日の影が衆生の心水に現ずるを加、行者の心水よく仏日を感ずるを持という。仏の絶対慈悲が信者の心に加えられて、行者が信心によってその慈悲を感得すること。

伽陀(かだ)
梵語ギャーターの音写。諷頌、偈、偈頌と訳す。韻文体の経文。長行部の趣意を再び韻文で表わした応頌と区別して孤起頌という。また法会の時、一定の曲譜をもって諷誦する偈頌。

火宅(かたく)
煩悩と苦悩に満ちたこの世を、燃えている家に喩えていう。炎につつまれた恐ろしい世界。迷いの世界。娑婆世界には苦悩ばかりで安らぎがなく、ちょうど燃えている家の中にいるようだ、の意。

迦陵頻伽(かりょうびんが)
梵語カラビンカの音写。好声・妙声・美音・美音信・好音鳥と訳す。ヒマラヤ山中にいる美声の鳥。極楽浄土に住む鳥、浄土曼荼羅には人頭鳥身にえがかれている。

灌頂(かんじょう)
頭に水をそそぎかけること。古代インドの国王の即位のとき行った儀式。仏の位にのぼるための密教の儀式。伝法灌頂、弟子灌頂、などがある。五智の瓶水を散杖で頭頂にあてる。

勤請(かんじょう)
真実の心をもって仏に永くこの世にとどまって説法し、衆生を救わんことを請願すること。新たに神仏の霊を移したてまつること。仏・菩薩に降臨することを請願する経文、式次第。

帰依(きえ)
帰も依も「よる」の意。帰命ともいう。すぐれたものに帰順し、よりすがること。絶対の帰順。信じてよりすがること。まごころを捧げる。信仰の意。絶対の信を捧げ、よりどころとすること。

祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)
中インドの精舎。スダッタ長者が釈迦とその教団のために建てた僧坊。祇樹給孤独園に建てられたので祇園という。多くの説法がここでなされた。

祈祷(きとう)
祈願、祈念、祈請ともいう。仏・菩薩の冥助を仰いで除災招福を祈ること。仏力の加護を求め種々の功徳を勧めることにより、除災できると考えた。密教では種々の祈祷がなされ護符がだされる。

帰命(きみょう)
梵語ナマス、南無の漢訳。いのちをささげて、たのみまつる、の意。自己の身命をさしだして帰依すること。本願招喚の勅命。諸仏の教命。それに従うこと。

鬼門(きもん)
うしとら・北東の隅は常に、悪魔の出入りする門戸であるとし、あるいは又その方角に鬼星の石室があるとして、その方角を忌むこと。転じて苦手な人・場所・事柄についていう。

(きょう)
対象。外界の存在。現象。眼・耳・鼻・舌・身・意の六根、機官に対して、色・声・香・味・触・法の六境がある。心の状態、境地をもいう。人それぞれ認識に差があることをいう。

教化(きょうけ)
きょうげ、とも読む。人を教えさとし、苦しむ者を安らかにし、疑うものを信仰に入らせ、誤った人を正しい道に戻すこと。教導感化して善におもむかせること。教道感化の略

教外別伝(きょうげべつでん)
ことばや文字の説法の他に、別に心から心に伝えられるものがある、の意。仏教の神髄は、どの教えの中でも伝えることはできず、心から心へと体験によってのみ伝えられること。

教相判釈(きょうそうはんじゃく)
教判ともいう。中国仏教の特質。多数の経論を整理し、あるひとつの経・論を根拠において他の経論との関係を明らかににすること。諸経典を分類、体系づけて立宗の要とした。

(くう)
もろもろの事物は因縁によって生じたものであって固定した実体はない、ということ。人間の自己のなかにも、存在するすべてのなかにも実体としての自我はなく因縁によって成っているということ。。

遇茶喫茶(遇茶喫茶)
茶に遇うては茶を喫す、と読む。悟りを得た人は淡々と生活をして、なんのこだわりもなくそのままが仏道の生活である、という意。碧巌録のことばである。遇飯喫飯と同じ。

恭敬(くぎょう)
つつしみうやまうこと。尊敬すること。うやうやしく仰ぎみること。

弘誓(ぐぜい)
菩薩の広大なる誓い。一切衆生をもらさず救おうという広大なる誓い。阿弥陀如来が菩薩のときに発願した四十八の誓い。または菩薩道を修める者に必要な四つの誓い(四弘誓願)など。

具足戒(ぐそくかい)
比丘・比尼丘の守る戒律。大戒ともいう。比丘は二百五十戒、比尼丘は三百四十八戒。仏教教団にはいることを意味する。具足とは、完全な、欠けたもののない、の意。

九品(くほん)
九種類という意。浄土教で分けられた九つの階位。上品上生、上品中生、上品下生、中品上生、中品中生、中品下生、下品上生、下品中生、下品下生、の九つ。九品浄土、九品弥陀、九品印、九品往生などという。九種類の浄土、往生などがあるということ。

葷酒(くんしゅ)
葷とは臭気のある野菜で、葱、韮、らっきょう、にんにく、はじかみなど。鳥獣魚肉の意とも。酒を飲むことはもちろん、葷を食することは臭気の不浄さと精力つくため禁じられた。

群生(ぐんしょう)
衆生のこと。この世に生をうけた多くの生類、人々、世界の人々。群類ともいう。

加行(けぎょう)
正行にたいしていう。準備段階としての行。前行。密教で灌頂・授戒・伝授などを受ける前に行う特定の前行のこと。禅宗・浄土宗などでは付法・受戒の際にその前段階として修行が行われる。また、後天的な努力によって得られたものもいう。

解脱(げだつ)
のがれること。解き放たれること。苦しみから解かれのがれること。束縛から解かれて精神が自由になること。迷いを離れ、真実を悟り、完全な精神的自由を得ること。

結縁(けちえん)
釈迦の教えを集めまとめること。聖典を編集すること。釈迦入滅後、教団の統一を維持するために代表者が集まり遺教の合誦を行ったことをいう。釈迦在世中は直接教えを乞い確かめられたが、滅後は各自の記憶を持ちより成文化する必要が生じた。滅後まもなく第一回目の結集、滅後百年のころ第二回、滅後二百年で

集(けつじゅう)
釈迦の教えを集めまとめること。聖典を編集すること。釈迦入滅後、教団の統一を維持するために代表者が集まり遺教の合誦を行ったことをいう。釈迦在世中は直接教えを乞い確かめられたが、滅後は各自の記憶を持ちより成文化する必要が生じた。滅後まもなく第一回目の結集、滅後百年のころ第二回、滅後二百年で第三回、二世紀のころ第四回の結集

血脈(けちみゃく)
師資相承という。師から弟子に仏の教えが絶えることなく受け継がれていくこと。その系譜。師から弟子に与える証明書のようなもの。在家の結縁者に与えられる教法相承の略譜。

外道(げどう)
インドでの仏教以外の他宗教の教え、またその信奉者。異教徒、仏教以外の宗教家、修行者。外教・外法・外学ともいう。仏教のことは内道・内教・内法・内学という。正道ではないもの、異端。

化仏(けぶつ)
仏・菩薩が神通力で、仮にこの世に姿を現すこと。衆生の性質や能力に応じて種々の姿を現す化身。仏の分身。衆生済度のため姿を変えた仏。本地仏を表すための頭部の仏。

顕教(けんぎょう)
密教の対。密教以外の一般仏教。釈迦の直接説いた教え。言語や文字によって明らかに説き示され、また読むものに理解されやすい教え。

権現(ごんげん)
権化、応現、化現などと同じ意。仏・菩薩が衆生済度のために仮に姿を現すこと。「権」は「かりの」の意。日本古来の神々は仏、菩薩がこの世に仮に現れた姿であるという意。

金剛(こんごう)
きわめて堅く破砕しないこと、ダイヤモンドを金剛石という。金剛杵、金剛喩定、金剛力士などの略。金剛の堅固な性質を転じて、最上・最勝・不変・不壊の意に用いる。

魂魄(こんぱく)
心身の異名。魂は、霊の働きがあって形がないもの、魄は形があって霊・心識のよりどころとなるもの。肝を司るものを魂、肺を司るものを魄という。自己存在の根源的生命。

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罪悪(ざいあく)
本来の道理に反し、または戒律を犯して苦果を招く行い、人から非難を受ける行いを罪といい、このような罪となる悪業を罪悪という。貧・嗔・癡の三毒、特に大乗では嗔・癡をいう。

在家(ざいけ)
出家にたいしていう。家に居住して、生計を営みながら仏教に帰依し、三帰五戒を受け優婆塞、優婆夷となった者。あるいは、単に在俗の人。

西向而臥(さいこうにが)
西に向って臥すこと。弥陀信仰に由来する。常に阿弥陀如来の来迎を予測して西方浄土に往生

済度(さいど)
衆正を苦や煩悩や罪業から救って、悟りの彼岸へ渡すこと。済は救済、度は度脱。煩悩を脱して安楽の地に至らしめること。

座禅(ざぜん)
坐して禅定を修すること。両足を組んで坐り精神を集中し、思いをこらし、無念無想の境地に入ること。インドの宗教が行ってきた行法で、仏教が採用した。結跏趺坐と半跏趺坐がある。

生飯(さば)
三飯・散飯・三把とも書く。さんばん、とも読む。生食、衆生食ともいう。餓鬼・鬼子母神に供えるために、食前にとり分けた少量の飯をいう。衆生の飯米の意。

作法(さほう)
日常の行住坐臥、または、儀式などで守るべき礼法をいう。法にかなった動作。礼儀作法、行儀。しきたり、きまり、慣例、さだめ。懺悔、授戒・仏事など、所定の法によって行う所作の法式。

色即是空(しきそくぜくう)
色とは形あるものの意。物質の一般。すべて形あるものは、因縁によって生じたものであり永劫不変の実体がない、ということ。

(ぜん)
瞑想の意。定・静慮・思惟修と漢訳。禅定とも。精神統一。

即心是仏(そくしんぜぶつ)
人間が本来もっている心そのままが仏であること。心を単に分別判断の道具ではなく存在の原理であるとしたとき、それがそのまま仏である、の意。

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陀羅尼(だらに)
仏の教えの精要で、神秘的な力を持っていると信じられる呪文。総持とか能持と漢訳され、本来は、すべてのことや教えをよく記憶して忘れない力、の意。

東岸(とうがん)
西岸の対。西岸とは西方極楽浄土のこと。彼岸のこと。従って東岸は此岸、裟婆のこと

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如来(にょらい)
梵語タターガタの訳。真如から来現したもの。応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊を如来の十号という。

涅槃(ねはん)
梵語ニルバーナ、俗語ニバンの音写。火を吹き消すごとく、迷いがふっと消えてなくなる状態。完全なる悟りを開くこと。釈迦の入滅のこと。

能化(のうけ)
よく他人を教化することのできる者をいう。所化の対。一切衆生に対して、一切衆生をよく教化し導く仏・菩薩をいう。日本では宗派の長老や学頭、管長に対して呼ぶ敬称。

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波羅蜜多(はらみた)
梵語パーラミターの音写。度と漢訳。のち、到彼岸と訳す。絶対の、完全の、完成した修行、の意。

(ぶつ)
梵語ブッダの音写。悟れる者、目覚めたる者、完全な人格者、絶対の真理を悟った人。究極の覚者。

偏袒右肩(へんだんうけん)
インドの礼法で、仏教僧が尊ぶべき人に恭敬の意を表すとき、袈裟をひとえに右肩をぬぎ左肩のみ覆うこと。

法門(ほうもん)
真理の教え。仏の教え。真理へ至る門、悟りに至る門。仏教への入り口。八万四千の法門というように使われ、仏教への入り口が無数にあること。

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曼荼羅(まんだら)
梵語マンダラの音写。壇。神聖な壇に仏・菩薩を配置した図で、宇宙の真理を表したもの。本質・精髄の意で、転じて輪円具足の意ともなる。金剛界・胎蔵法の二種があり、智・悲を表す。

冥加(みょうが)
冥応・冥益・冥感と同じ。顕加の対。仏や菩薩から知らず知らずのうちに受ける加護。

無相(むそう)
形やすがたのないこと。特定の相をもたない事。物事には固定的なすがた、実体的なすがたというものがない、という意。

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行〜

夜叉(やしゃ)
梵語ヤクシャの音写。捷疾鬼・勇健・能たんと漢訳。羅刹とともに八部鬼衆のひとつで、人を食らう悪鬼。

唯仏与仏(ゆいぶつよぶつ)

大乗における究極の悟りの境地は、ただ、仏と仏が理解しうるもので、凡夫の思議することのできないものである、と言う意味。

輪廻(りんね)
流転と同じ。インド古来の思想で、生ある者が生死を繰り返すこと。

六道(ろくどう)
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六つの世界。衆生がその行いによって生死を繰り返す迷いの世界。

和光同塵(わこうどうじん)
仏・菩薩がみずからその光を和らげ、悩める人々に同ずること。仏・菩薩が悟りの智慧の光を隠して、衆生を救うために世俗界に身を投じ煩悩の塵に同じて、教化すること。

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『現代仏教情報大事典』より引用
発行所 (株)名著普及会
発行者 小関貴久

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