真言宗の開祖は弘法大師・空海(774〜835)である。空海は唐で恵果より真言密教を学び、ことごとく秘宝を伝授されて帰国し、真言宗を開いた。
823年には、嵯峨天皇から東寺を賜って皇城鎮護の道場とし、835年高野山で入定 (入寂)した。この間、布教活動とともに福祉的活動や橋をかけるなどの社会事業にも尽力した。
密教というのは、歴史上の釈尊が説いたとされる顕教に対するもので、法身仏(いわば絶対者)である大日如来が、直接説いた教えという。生きとし生けるものは、宇宙の根源的な生命である大日如来の顕現であり、我々も三密行の実践により即身成仏することができると説く。そのほか具体的な行に阿字観などがあり、また諸尊の加護を求めて加持祈祷がしばしば修される。
曼陀羅は密教の悟りの世界=宇宙の大生命を象徴的に図画でもっと示したものであり、かつ現実世界がそのまま理想世界なること示すものである。また、高野山は、弘法大師・空海の入定の地であり、大師の救いを信じて南無大師遍照金剛と唱える大師信仰の中心となった。
この高野山金剛峯寺を総本山とする高野山真言宗は真言宗団の中でも最大の宗団である。また、真言宗は皇室と縁が深く、大覚寺、仁和寺等の門跡寺院が多くあり、それぞれ一派を形成している。12世紀には、覚鑁(1095〜1143)が出て密教と高野山の復興につとめた。覚鑁は金剛峯寺と大伝法院の座主を兼任するなどしたが、金剛峯寺勢力と折り合わず、高野山を離れて根来(和歌山県)
に本拠を置いた。
その後、頼瑜(1226〜1304)が出て大伝法院を根来に移し、新義真言宗として独立した。根来寺が豊臣秀吉に焼かれると、専誉と玄宥の二人の能化は、それぞれ大和長谷寺、京都智積院に移り、現在の真言宗豊山派と真言宗智山派の基を据えた。
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