奈良仏教
奈良時代に入ると、遣唐使によって唐から輸入された学問仏教が奈良の諸大寺院で学ばれた。これは一口に南部六宗といわてれおり、三輪・成実・倶舎・法相・華厳・律の6宗をいう。このうち法相宗とは、インドに由来する唯識教学を研究する学派で、今日、興福寺と薬師寺を二大本山とし、その伝統を伝えている。また、華厳宗は、東大寺を大本山とし、中国の賢首大師法蔵が華厳経に基づき大成した華厳教を研究する学派である。東大寺には、752年、華厳経の教主・毘盧遮那仏をかたどる大仏が建立され、この東大寺を総国分寺とする国分寺の組織も整備された。総じて、奈良仏教は、鎮護国家的性格を有していた。なお、754年、唐から鑑真(688〜763)が来朝し、授戒の制を確立した。鑑真の開創した寺院が唐招提寺で、今に律宗を伝えている。
|
聖徳太子と仏教
日本の仏教は、聖徳太子(574〜622)によってその基礎が据えられたとされる。太子は、非常に深く仏教思想を受容し、これを治世にも活かしたといわれている。太子はまた、法隆寺や四天王寺などを建立している。法隆寺はその後、長く法相宗の学問道場としての役割を果たしてきたが、今日では法相宗から独立し、聖徳宗を形成している。四天王寺は、戦前まで天台宗に属していたが、前後独立し、和宗を形成している。
|
『宗教年鑑』より引用
著作権所有 文化庁/文化庁文化部宗務課
発行所 株式会社ぎょうせい
|