今より三九五年前の慶長八年、
徳川家康は江戸幕府を開き、
同十年には自ら駿府城に隠居し、秀忠を二代将軍とした。
慶長九年の竹千代(三代将軍)の出生にとも
ない、正式に乳人となるお福(春日の局)は大奥の歴史に君臨する豪爽の人となった。
徳川家三代将軍の座をめぐり、天下二分しての争いは、その時代として重大事件であり、
その渦中にあって不振の幼君・竹千代の乳人、お福の苦節、特に湯殿山と、当山大日坊御本尊(弘法大師御自作と云う)に、人知れず、念願 し、知る人ぞ知る、一般的には一切秘密として知らされなかった。
お福の当坊への祈願来山は、二代将軍秀忠の病気平癒が表面上の理由であったが、 実は竹千代の身体健固と将軍跡目決定のために命掛けの大祈願をされ、 その結果、竹千代君に三代将軍の栄冠が与えられた。
その後寛永十四年、三代将軍家光が重い病気にかかり、病気平癒の御祈願として内心の旗本・久米助右エ門と法海行人が代参している。春日の局は当山に大日如来奉納、堂宇再建された。当山大日坊は徳川将軍家全国七ヶ寺の−別當祈願寺と定められた。



金剛界大日如来


寛永18年6月三代将軍家光の乳母、春日の局の奉納による。三代将軍の座をめぐり世間が粉糾していた頃、春日局は人知れず当坊を訪れ、命掛けの御祈願をしたと伝えられている。



奥の院大日堂棟札
祈願文を入れた文状箱

家康公位牌
家光公所持刀