| 釈迦(しゃか) | 縁起(えんぎ) | 仏教小史 Vo.1(発生から中国へ) | 仏教小史 Vo.2(日本への伝来) | |
| 奈良仏教 | |平安仏教 | 鎌倉仏教 | 戻る | |
鎌倉仏教
鎌倉時代には多くの宗派が生まれている。当時は政治の実権が貴族から武士へと移る転換期であり、その一方、天災・飢饉・戦乱などによって民衆の苦悩は深まっていった。しかも仏教史観によれば、末法の時代でもあった。そうした中で貴族階級中心の平安仏教に代わり、民衆の救いへの願いに応える仏教が生まれたのであった。 |
日蓮宗
日蓮宗は、日蓮 (1222〜1282) を宗祖とする。日蓮は初め、清澄山に登って仏教を学び、後、比叡山で天台教学を究めるなどし、故郷 (千葉) に帰り、建長5年 (1253) 、清澄寺で南無妙法蓮華経と高唱したのが開宗とされる。その後、鎌倉を中心に布教活動を展開し、幕府に対して法華経に帰依すべきことを訴えたが聞き入れられず、そのことにより数々の法難を受けた。佐渡に流されるが、やがて許されると身延山に入り、そこで専ら法華経の宣揚と道俗の訓育に当たった。7年間ほどして病いを得て身延山を下り、常陸に療養に向かう途中、立ち寄った池上にて示寂した。日蓮宗では、南無妙法蓮華経の題目(経の題目)を唱える、唱題ということを説くが、それは、法華経こそが釈尊の悟りのすべて、すなわち宇宙の実相を表わしており、しかも「妙法蓮華経」の題目は、単に名称ではなく、法華経の説く内容、つまり仏陀の証悟の世界そのものである、と日蓮が見出したからである。なお、日蓮は、南無妙法蓮華経を中心に、諸仏諸尊を回りに配した図によって末法の衆生を救済するという釈尊の本懐を顕わたしたが、その図顕の大曼陀羅も本尊として礼拝の対象としている。現在、日蓮系の教団には、身延山を祖山とし、池上本門寺に宗務院を置く日蓮宗を初め、顕本法華宗、法華宗 (本門流・陣門流・真門流) ・本門法華宗等々、種々の宗派がある。ここには、法華経に対する解釈の相違が介在している。なお、日蓮の寂後、身延の御廟は日蓮の定めた六老僧が管理したが、その中の一人、日興(1246〜1333) の流れを汲むのが日蓮正宗であり、富士の大石寺に拠っている。 |
『宗教年鑑』より引用
著作権所有 文化庁/文化庁文化部宗務課
発行所 株式会社ぎょうせい